命あってこそ
今年度になって、4人目の訃報を聞く。
働き方改革という言葉はよく聞くが、
教育現場では、まだまだ実現まで道は遠い。
自分が採用試験に合格して、教育職を始めた頃は、◯◯教育という言葉は、ほとんどなかった。
今は数十種類もあり、それぞれに対して、とてつもなく沢山の努力を上から下へと簡単に求める時代になった。
家庭の教育力が低下したこと、社会の構造が変わって来たことなどが大きな要因であるとは思う。
しかし、その都度、現場で大きな戸惑いを引き起こしていた。
小学校の英語の教科化、道徳の教科化、情報教育に伴い、情報モラルの研究、アクティブラーニングの本格実施等々、数えるとキリがない。
これらが始まるたびに、現場の混乱も顧みず、強制実施と、現場の研修を求めて来る。
もちろん、世界の情勢は変わるし、社会の求めるものも変わって来ているから、仕方ない部分もある。
だが、現場は、人手不足で疲弊している。
教職員は、基本的に、ボランティア精神に富んでいる方々が多い。
中学校の部活動は、課外活動だから、本来の業務とは無関係である。
土日も返上して熱心に取り組んでいても、批判されることさえままある。
本当に教職員は、お人好しの集団である。
だが、まだ若い教職員が、尊い命を落としている。
それにこの情報化の世の中なのか、教職員希望者が、減っている。
長時間労働が当然の上、生徒指導も困難を極める状況を考えればそれも頷ける。
自分が、学生の頃、教師に殴られたことは何度かある。
正当な理由もなく。
だか、今は、「殴ってでも、こいつを鍛えてください。」と口で言いながら、ちょっと強く叱られたら逆恨みする親子も多い。
学力の低い学校は、教職員はもちろん親子みんなで協力しなければ、ずっと低いままである、
これは、どの学校にいても、よく感じられた。
勉強ができないのは、◯◯のせいだと、いっている間は、何も変わらない。
お互いの良さを認め、悪いところを改めるという、ごく基本的な事が出来ていないのが大きな要因である。
話を元に戻そう。
教職員の仕事は、ハードである。
ボランティアの部分が多い。
休憩は、ほとんどない。
あるのは、時間外の放課後の部活動が終わった夜7時くらいからだ。
それも、生徒指導で何も無い場合に限る。
何かの理由で、学校を休んでいる子が学級にいれば、担任なら家庭訪問に行く。
それは、午後7時からの業務なのだ。
帰宅は夜10時を過ぎることも、何度もある。
普通、公務員であれば、午後5時以降は時間外労働だから手当が出る。
しかし、教職員には一銭もない。
ボランティア精神に支えられている砂上の楼閣という事に気づかなければ、日本の教育力が崩壊するのも時間の問題であろう。
地域や家庭が担っていたものを、あまりに学校に求めすぎた。
若い教職員が、亡くなる。
これは、警鐘以外のなにものでもない。
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